――第5章



「ルイア様ぁ! おかえりなさぁい!」
 東門から入ってきたルイアたちを、明るい元気な声で出迎えたのはカノンだ。赤茶色の三つ編みの髪を揺らしながら、大きな瞳を輝かせて、ルイアのところに走ってきた。
 カノンとは途中経過を報告するために鳥便で連絡を取り合っていた。だから、数日前の鳥便で今日帰ってくることを知らせてあった。それが、カノンからベム大臣へ伝わったので、ベム大臣が王都の入口で待ち構えていたのだ。
「フィーザス様も、ヤマト様もお変わりなく。あ、ビオ様、馬車は向こう側に移動してください。これから必要になるのですよね? 許可は取っておきましたよぉ」
「さすがカノン。行動早いわね、ありがとう。で、頼んでおいた件は?」
「やっておきましたぁ。ところで、その子がルーガくんで、そちらがシーラ盗賊団ですか?」
 手紙のやり取りをしていたので、事情は熟知している。カノンは身構えることなく、ルイアの隣にいる白緑色の髪の少年と、背後の一団に対して明るく挨拶をする。
「はじめましてぇ、カノンです。ええっとぉ、みなさんにはサンエルウム特殊部隊の情報屋、と言った方がわかりやすいですねぇ」
「じょっ、情報屋っ!? 特殊部隊のっ!? この子がっ!?」
 メイド服に身を包んだ彼女が、まさか情報屋だとは誰も夢にも思わない。三つ編みの、人懐っこい少女は、どこからどう見ても、普通の少女である。
 そのカノンに案内された『東の塔』に入って、シーラたちはさらに驚いた。
 綺麗に内装されたこの塔を、今日から使っていいと言うのだ。
「ここ四階が食堂兼自由スペースとなります。三階がみなさんの部屋ですが、都合上シーラさんの部屋はこの上の五階とさせていただきました。わたしやヤマト様、ビオ様の部屋も五階ですのでご用の際は声をかけてください。ルーガくんはしばらくルイア様フィーザス様と一緒の六階の部屋です。その上、七階が最上階です。最上階は展望室のようになっていますので、ご自由に利用してくださぁい」
 紅茶とお菓子を出されたシーラたちは、訳もわからないままカノンの説明に耳を傾けていた。
「最後に注意事項です。この塔の中は自由に利用してくれてかまいませんが、塔の外に出る時は言ってください。一応ここは城の中なので、立ち入り禁止の場所がたくさんあります。知らずに入ったら大変ですので、くれぐれも注意してください。以上ぉ」
 説明が終わっても何が何だかわからない。頭が状況理解に追いつかないのだ。とりあえず、今日から自分たちがここで生活することだけ、わかった。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。わたしたちがいるし。城の人たちは気のいい人ばかりだから」
 ルイアの言葉に、シーラたちは少し気が楽になったようだ。
 それに、ルイアの知り合いだと言えば、失敗しても謝れば許してもらえるだろう。ルイアは誰からも慕われている。
「カノン、グラザーン国王は?」
 特殊部隊の隊長として、ルイアは報告をしなければならない。
「今はたぶん、謁見の間でツイール国の王子たちと話していると思いますよぉ」
「謁見室か……。じゃ、ちょっと報告しに行ってくるわ。ルーガ、悪いけどみんなと待っててね。用事が終わったら、すぐ戻ってくるからね」
 ルーガがこくんと頷いたのを見ると、ルイアは後のことをカノンに任せて、謁見室へと向かった。


「長旅ご苦労であったな、ジェス王子」
「いえ、今回の旅は学ぶことが多かったです。良い経験になりました」
「はっはっはっ。その様子では特殊部隊に散々言われたようだな」
「…………はい。特に隊長殿には、もう」
 苦笑気味に言うジェス王子。その光景が手に取るように想像できるグラザーン国王も頬を緩める。
「だが、私たちが普段気付かないことまで言ってくれただろう。国民のことを良く知っている。あれの母親もそうだった。私やベムも時々注意されるぞ。なあ、ベム」
「本当に。ですが、私は父親似でもあると思いますがね……」
 ほっほっほっと軽快に笑う。それについて、グラザーン国王は何も言わなかった。自分も若い頃は結構城を出て、現地視察に行ったものだ。ルイアのことばかり言えない。
「ところで、グラザーン国王。親書に書いた件なのですが……」
(うっ。来たか)
 内心の動揺をひた隠しながら、グラザーン国王は思った。できればいっそ忘れてほしいようなことであった。
「グラザーン国王自慢の愛娘を、私に引き合わせてはいただけませんか?」
「ジェス王子、そのことについてだが……。あの子は私の愛した人の、大切な忘れ形見だ。幸せになってもらいたい……」
「この命をかけて、守ります」
(いや、守られるほど弱くないのだが)
 内心呟いたが、声には出さないグラザーン国王。
「あの子について、ちゃんと知っているのか……?」
 今度はジェス王子の方がつまる番だった。
「――――――特殊部隊の隊員には『普通ではない』と言われました」
 フィーザスに関しては『お前の手におえる女じゃない』とまで言われたが、それまで伝える必要はないだろう。
「うん、まあ……その通りだ。あの子は庶子であるし、普通の王女とは少し…………いや、だいぶ違う、と、思う」
 何となく言いにくい。
「だが、私にとっては大切な娘だ。心から愛する人と幸せになってもらいたい。だから、もしあの子がそなたを心から愛したのならば、私からは何も言わない。婚約でも結婚でも何でも許そう。――これが、サンエルウム国王としての、あの子の父親としての、答えだ」
 一国の王としての責務。
 父親としての愛情。
 その両面に挟まれながらも、威厳を失うことなく、グラザーン国王は断言した。
「――わかりました」
 ここからはグラザーン国王に頼ることはできない。自分の力で何とかするしかないのだ。ジェス王子は、そう固く決意する。
「それで、あの……グラザーン国王?」
 いつまでも次の言葉を発しないグラザーン国王の様子に、ジェス王子は恐る恐る声をかける。
「他に何か?」
「いえ、そうではなく……私にあなたの新しい娘を、紹介していただきたいのですが……」
(は? 紹介って……)
 グラザーン国王とベム大臣は顔を見合わせた。
(もしかして……名乗ってないのか?)
 なるほど。そういう理由ならば、このジェス王子やビエンナーレ子爵の反応も納得できる。
(まったく、問題は何も解決してないではないか)
 実際、ルイアはジェス王子の婚約申し込みどころではなかったのだ。盗賊や暗殺者、それにルーガの問題が次から次へと休む間もなくやってきて、ジェス王子に構っている余裕などなかった。
 そんなことは知らずとも、愛娘の言葉を信じてしまうグラザーン国王である。
 ちょうどその時、傍らに控えていたベム大臣のもとに、扉の警備を担当している騎士から来客の存在が告げられた。
「陛下……」
 そのままグラザーン国王に耳打ちする。
「入室するように言ってくれ」
 国王陛下の許可が下りたので、すぐさま騎士は扉を開けるように合図する。ゆっくりと開いた扉の向こうから一組の男女が姿を現した。
 旅装束を纏った亜麻色の髪の少女と銀髪の青年。
 言われるまでもなく、ルイアとフィーザスだった。
 二人は玉座の下まで来ると、丁寧に一礼する。
「ただいま帰りました」
「おかえりルイア。今回も無茶したようだな」
「もう聞いたんですか? 別に無茶じゃないですよ」
「盗賊団や暗殺者と戦うことが無茶ではないと言うつもりか? 私はくれぐれも無茶しないようにと言わなかったか、ルイア」
「言いました。はい。ちゃんと覚えています」
「ならば……っ!」
「お言葉を返すようですが、グラザーン国王。今回のことはわたしたち特殊部隊でなければ対応できませんでした。被害を最小限に留められたと自負しています。それともグラザーン国王、あなたは犠牲者を出してまで、わたしに行かない方がよかったと、そうおっしゃるつもりですか?」
「ぐっ……」
 悔しいが、ルイアの言っていることは正しい。
「ほっほっほっ。陛下の負けですな」
「……っ、ベム! お前はどうして、いつもいつもルイアの味方をするのだ!」
「味方ではございません。陛下よりルイア様のお言葉の方が正しいのです」
 しれっと答えてみせるベム大臣。その光景を見て、ルイアは微笑む。ルイアは二人のこの関係が好きなのである。
 一方、ジェス王子やビエンナーレ子爵は呆気にとられていた。名君として名高いサンエルウム国王に、こんな一面があるとは考えたこともなかったからだ。
 どのように言っても、自分があがいているようにしかならないので、少し不機嫌な様子でグラザーン国王は話題を変えることにした。
「ジェス王子、もう互いに名前は知っていると思うが、今一度私から紹介しよう」
(何を言っているんだ、グラザーン国王はっ。早く新しい王女様をジェス王子に紹介してくださればいいものをっ)
 それほど時間稼ぎをしたいのかと、ビエンナーレ子爵は思ったが、特殊部隊には恩があるし、まだ礼も言っていない。それを考えれば、何も言えはしない。
「この子が、ルイア。私の娘だ」
「特殊部隊隊長殿にはこの度…………って、娘?」
(娘と言ったのか、今……)
 ルイアは否定もせず、にっこりと微笑む。
「……ええええええええええっ!!」
 ジェス王子とビエンナーレ子爵は心臓が飛び出るほど驚いた。



「ちょっ、ちょっと待って下さいっ。たた隊長殿が娘っ!?  むむ娘だとっ、グラザーン国王の、そうおっしゃるのですかっ!?」
 突拍子のない告白に、頭が混乱している。文法が変だ。
「……お、落ち着けフレッド」
 そう言うジェス王子も驚きを隠しきれない。
 頭の整理がつくまで時間がかかるだろう。そう考えたルイアは隣で驚いている王子たちを無視して、ここへ来た本当の目的の方に移ることにする。
「グラザーン国王、お願いがあります」
 その声にはっとしてジェス王子もビエンナーレ子爵も我に返った。
「何だ?」
「わたしと母の家があるあの丘に、孤児を引き取るための大きな家を建てたいと思います。その許可と、国中から苦しい生活を送っている子供たちを集めるための立て札を……」
「孤児問題か……。まだ真剣に取り組んでなかったな」
 さっきまでの雰囲気とは一変して、グラザーンは国王の顔になる。
「孤児問題は社会問題です。孤児の多くは生きていくために必要なものを自分で手に入れなくてはならない。それができない弱い者は死に、強い者は盗みや強奪といった犯罪に走ります。そのまま犯罪者として大人になるケースは決して少なくありません。それだけではなく、中には自分の身を売る者も出てきます。奴隷商人の手に捕まった者は一生奴隷として、道具のように働かせられるのです。そのようなことがあっていいはずがありません!」
 悔しくて悔しくて、拳を強く握り締めた。そして、静かに続ける。
「……わたしは今回の旅で、麻薬中毒にされた少年たちに出会いました。その内の一人は、助けようとして、助けられませんでした……。麻薬中毒者は麻薬を持つ者の言うことしか聞かない。それはわかっていたけど、見ていられなかった。でも、彼らは自分から道具であることを望んだわけじゃないんです。そして、もうこれ以上悲しみを増やしてはいけないと思います」
 強い青の瞳がグラザーン国王を見つめた。
 それは母レイシアと同じ輝き。そして、グラザーン国王が王位についた時と同じ決意が宿った瞳。
「――――わかった。許可しよう。ベム、異存は?」
「ございません。犯罪件数も減り、国民が幸せになるというのならば、反対する理由がどこにありましょう。ですがルイア様、孤児たちの心の傷は決して容易なものではございませんよ」
「わかっています……」
 でも。
「信じていれば必ず光は見えます。どんなに暗い寂しい夜でも、明けない夜はないと……そう信じたいです。それに――」
 思い出す。光の中で笑っていたあの姿を。
 ルイアと同じ、亜麻色の髪と、どこまでも澄み渡る大空の瞳。
 決して色あせることのない、その想い。
「『生きているものは皆、幸せになるために生まれてくる』――母の言葉です」
 その言葉を信じたい。
 その言葉を現実のものとしたい。
 母の信念を受け継いだ十五の娘は、確かにここにいる。
「……やはりお前はレイシアの子だ、ルイア」
 愛しい人の面影を見るように呟く。
「費用は国から出そう。地方の貴族には私の方から協力を要請しておく。それで良いな?」
「はいっ、ありがとうございます。では、わたしはこれで」
 一礼をして謁見室を退出しようとするルイアに、一同は慌てる。
「ちょ、ちょっと待てルイア。ここにいるジェス王子に……そう、城内でも案内しながら散歩でもすると良い」
「今からですか? わたしはこれから外に行くつもりなんですが……」
「外っ!? まさかまた旅に出るつもりではないだろうなっ!?」
 がたん、と玉座から立ち上がり、その勢いのままルイアを問い詰める。
 つい先ほど、同じような台詞を聞いた気がする。
「……どうしてベム大臣と同じことを言うんです? しばらく旅には出ませんよ」
「ああ、そうか……。それなら良いが」
 落ち着きながら、グラザーン国王は玉座に座り直した。
「まったく、お前は目を離すとすぐ旅に出てしまうからな。それで、今日はどこへ行くつもりだ?」
「……母に、帰還の報告をしに」
 ルイアの口から出た言葉に、グラザーン国王は少しだけ目を見張る。
「…………そうか。気をつけていっておいで」
 その言葉には父親としての精一杯の優しさが込められていた。


 謁見室を後にしたルイアとフィーザスは、廊下でジェス王子とビエンナーレ子爵に追いつかれた。
「すいませんが、ジェス王子。城内を案内することはできませんよ」
「わかっています。外出するのですよね? それに私たちも同伴して構いませんか?」
 今は少しでも一緒にいて話す機会がほしい。
「構いませんけど。歩いて行きますよ」
 それでもいいのかと、問いかけてくるルイアにジェス王子は意気込んで、
「行きたいのです」
 と答えた。それなので、ビエンナーレ子爵も主人に付いて外出することになった。
 東の塔まで来たルイアは入口から大声で皆を呼んだ。
 その声に反応して真っ先に出てきたのはルーガで、その後にカノンたちやシーラたちが続く。ヤマトやビオは変わらなかったが、カノンは城のメイド服から普段着に着替えており、シーラたちも盗賊の格好から町人の服装になっていた。
「どうです? サイズぴったりでしょう」
 服の注文をしたカノンが得意げに言う。ルイアからの、ちょっとした情報だけで当人に合ったサイズがわかるとは、大したものである。
「さすがカノン。シーラたちも似合ってるじゃない。ルーガはちゃんと着がえできた?」
 こくんと頷くルーガ。それでも寂しかったのだろう、ルイアの側から少しも離れようとしない。
「あ。そちらが噂のツイール国のジェス王子ですね。それと、正面切ってグラドー公爵に反発しているフレッド・ビエンナーレ子爵」
 情報屋のカノンらしいといえば、カノンらしい言葉にルイアは呆れながらも一応注意する。
「カノン、そういう覚え方はどうかと思うけど?」
「ルイア殿、彼女は……?」
 いつのまにか呼称が『隊長殿』から『ルイア殿』に変わっている。
 でも、シーラたちもカノンからルイアがグラザーン国王の庶子ということと、今回の事情をすでに聞いていたので、特に驚かなかった。
「はじめましてぇ、ルイア様のお世話係のカノンです。以後お見知りおきを」
 あれっとシーラたちは思ったが、すぐルイアの視線に気付いたので、口には出さない。情報屋と知られては、ツイール国の話を聞き出しにくくなるのだ。いつどこでもカノンは自分の仕事を忘れない。
「折角だし、正門から出ようか? シーラたちはまだ正門くぐってないもんね」
 そう言ったルイアを先頭に、一行は正門へと向かう。
「三階の、ほらあの窓がグラザーン国王の執務室よ。あっちの大きい窓が会議室で、その下が広間。ジェス王子、今夜の夕食はあの部屋だと思いますよ。あ、ほらレーグ、庭の向こうに見える建物が離宮よ離宮っ!」
 ルイアが城内の説明をしながら歩いているので、景色を楽しむ余裕は十分ある。シーラたちは、生まれて初めて見る壮大な城に心を奪われ、忙しく周囲を見渡していた。
「お。いたいた。よぉ、娘隊長!」
「ラスカート隊長! あ、こちらはツイール国のジェス王子とビエンナーレ子爵です」
「おお、これはこれは。ようこそサンエルウムへ。グラザーン国王直属第一騎士隊、隊長を務めておりますラスカートと申します」
 敬意を示して、騎士の礼で挨拶をする。ジェス王子も王族たる威厳を持って、これに応じた。
「休まれなくてよろしいのですか? 長旅でお疲れでしょう」
「わたしたちと一緒に外に行くんだって。それより、ラスカート隊長。その手に持っているのは何?」
 城の裏庭から摘んで来たのだろう、白百合の花が五、六本ある。根っからの騎士であるラスカートには、いささか不似合いだ。
「レイシア隊長のとこに行くんだろ? 俺からだ」
「わかった。言っておくよ、『ラスカート隊長はわたしのこと娘隊長って呼びます』ってね」
「何だよ、仕方ないだろ。初めて会った時からそう呼んでいるんだからな。今更変えるのもアレだしなぁ……」
 ぽりぽりと頭を掻く。すると、回廊の方から楽しそうな声が聞こえてきた。
「あーっ! ラスカート隊長がルイア様にお花渡してるーっ!」
「やだ何? 愛の告白―っ?」
「ラスカート隊長にもやっと春が来たんですねーっ!」
 高い声で話ながら走ってくるメイドたちは本当に楽しそうだ。
「ルイア様おかえりなさーい!」
「いつ帰って来たんですかーっ?」
「ラスカート隊長に告白されたんですかーっ?」
 口々に尋ねてくるメイド三人娘に、にっこりと微笑んで報告する。
「ついさっき帰ってきたの。でも告白はされてないわ。これはラスカート隊長から、わたしの母さんによ」
「ということだ。おいコラ三人娘、妙な噂流すんじゃねぇぞ」
「はーいっ!」
 声を揃えて返事をしたメイド三人娘だったが、その表情は何となく楽しそうだ。
「わかったらさっさと仕事に戻る! じゃあレイシア隊長によろしくな」
 それだけ言うとメイド三人娘を追い立てながら、ラスカート隊長も自分の仕事に戻っていった。

 その後もルイアはたくさんの人から声をかけられた。政治家にも、騎士にも、メイドにも、庭師や下働きの者たちにも。厨房の人たちには、美味しいから、と果物までもらった。
 ジェス王子たちも、そしてシーラたちも驚いた。会う人会う人、皆ルイアに親しく話しかけてくる。
 今日城に来たばかりのジェス王子たちだったが、その全員がルイアを慕っていることはわかった。とても、この城に来てからたったの三ヶ月とは思えなかった。



 昔の家へと戻ったルイアは、はじめに母の墓参りをした。
 事情を知らなかった王子たちやシーラたちは、ルイアの母親がすでに亡くなっていたことに驚いたが、それでも一緒に墓参りをした。そんな彼らに、ルイアは笑顔で礼を言い、この緑に囲まれた丘で軽い昼食を取ることにした。
 何とか二人きりで話がしたいと思っていたジェス王子だが、墓参りの時はさすがに声をかけられる雰囲気ではなかったし、昼食の時もルイアの周りには特殊部隊のメンバーや盗賊たちが群がっている。とても二人きりで話ができる様子ではなかった。
 ルイアは昼食が済んだ後、すごく忙しかった。
 まず、手紙で呼び出しておいた大建築家レンティーノ氏が訪ねてきて、早速孤児の家の打ち合わせをはじめた。建築家になりたいと言っていた盗賊のレーグは、ルイアの紹介でレンティーノ氏に弟子入りすることになった。今から作業に入ると宣言したレンティーノ氏は、弟子になったばかりのレーグをつれて仕事場に戻っていった。 去っていくレンティーノ氏とレーグの瞳には、同じ輝きが宿っていたことをルイアは知っている。
 その後、ルイアとフィーザス以外の特殊部隊のメンバーは、それぞれ行かなければならない場所があるので別れた。これでやっと話ができると踏んでいたジェス王子は、自分の考えが甘かったことをすぐに実感させられた。
 ルイアは盗賊たちをつれて街へと繰り出した。
 その途中、ルイアはさまざまな店や仕事場に寄り、盗賊たちが働けるように交渉しはじめたのだ。
技術のいる仕事などは、腕を見てから決めるなど、条件付きの場所もあったが、半数以上の盗賊たちは、自分が幼い頃思い描いていた夢を実現することができそうだ。残りの人たちの仕事は、一緒に生活しながらやりたいことを見つけていけばいいと、ルイアは思っている。
 警察隊に逮捕させるのではなく、ルイアはシーラ盗賊団を『東の塔』に入れることに決めた。
 シーラほどの実力者を埋もれさせておくのは惜しい。一言で言えば、シーラが気に入ってしまったのだ。
 だから、シーラ盗賊団の面倒は自分が見ることにした。仕事が見つかって、一人立ちできるようになるまで、ルイアは全面的に協力する。それが、シーラ盗賊団を捕まえた特殊部隊の責任というものだ。
 一方シーラは、あの夜誓った言葉どおり、ヤマトやビオと日々訓練に明け暮れていた。
 もともと武術の才能があるシーラは、訓練を重ねるごとに強くなっていった。これまで自分より強い相手と練習する機会に恵まれなかっただけで、シーラの成長はめざましいものがあった。


「ねえシーラ、あなたはこれからどうする気?」
 盗賊たちはルイアの紹介で半数以上の人が仕事につき、『東の塔』から出ていった。まだ勉強中の人もいるが、皆の進路はほとんど決定している。そう、ここ数日訓練に没頭していたシーラ以外は。
「そーだなぁ……あたしは夢とか別になかったからな。あたしらしく生きられればそれでいーさ。しばらくしたら旅にでも出て、腕を磨くのもいーな……」
 そのようなことを言いながらも、シーラの顔は生き生きと輝いている。シーラは自分の信念を持っている。  やはり自分の目に狂いはなかったと、ルイアは誇らしく微笑んだ。
「――シーラ、わたしたちの『仲間』にならない?」
 ルイアからそう言われたのは、サンエルウム国とツイール国の首脳会談も後半にさしかかった頃のことだった。
 用事があるので、返事はいつでもいいと言ってその場を去るルイアの背中を、シーラは呆然と見送る。
 信じられなかった。自分が、まさかサンエルウム特殊部隊に誘われるなど。
 しかし、シーラの心はもうすでに決まっていた。


 その後、ルイアとフィーザスは、廊下でジェス王子たちとばったり出会った。無事に今日の日程を終えたジェス王子が、ルイアを待ち構えていたようだ。
「少し、時間をもらってもよろしいか?」
 真剣な顔つきで問いかけてくるジェス王子に、にっこりと微笑んでルイアは中庭へと誘う。この時ばかりはフィーザスも、従者のビエンナーレ子爵と同様に、少し離れた場所から二人を見守ることにした。
 ルイアも、フィーザスも、これからジェス王子が話す内容がわかっていたから。
「……ルイア殿、もうすでにわかっていると思うが」
「わかっています。婚約の件ですね? ですが、ジェス王子……わたしがグラザーン国王の娘だとわかっても、あなたは婚約したいと思っているのですか?」
 想像していた王女とは全く違うだろう。やめるのならば、はっきりとそう言えばいい。
 もし、王族として、一度言ったことは取り消せないとしても、この場にはルイアしかいない。ルイアの前では醜態も何もない。出会ってから、ずっと醜態をさらしていたようなものだ。今更それを繕っても遅い。
「……確かに。私はサンエルウム国の力に頼りすぎていたようだ。あなたに言われるまで、それが正しいことだと勝手に信じ込んでしまっていた。全く、恥ずかしい限りだ」
「人間は誰でも間違うことがあります。王族であろうと農民であろうとそれは当然のことです。大切なのは、それからだと思います。ジェス王子、あなたはこれからどうするおつもりですか?」
「国に戻ってグラドーと戦うことになるだろう。その時、あなたが隣にいてくれると心強いのだがな……」
 それはつまり一人の女性として、ルイアに側にいてほしいと言っているのだ。
「グラザーン国王の娘としてではなく、私はあなたという女性を妻に迎えたい。共に旅した中でたくさんのことがあった。あなたはいつでも一生懸命で、輝いていた。そんなあなたに私はいつのまにか心惹かれていた。正直、あなたがグラザーン国王の娘だとわかった時、驚きよりも嬉しさの方が大きかったのも事実だ」
 真摯な瞳でルイアを見つめる。
「――ルイア殿、我が妻としてツイール国に来てくれないか」
 それは、ジェス王子からルイアへ、正式な申し込みだった。

 長い沈黙が流れた。
 その言葉にどれほどの想いが詰まっているのか知っているから、簡単に声を出すことができなかった。
 遠くで聞こえていた、物音も一切ない。
 空白の時間。
 ジェス王子の鮮やかな金髪が、この時ばかりは眩しく見える。
 ルイアは、その癖のない亜麻色の髪を風になびかせる。
 双方の青い視線は、少しも動かない。
 静かに降り注ぐ陽光が、綺麗に咲き誇る花の色彩を鮮やかに浮き出たせる。
 優しい風に運ばれてくる自然の芳香が二人を包み込んだ。
 ここは〈太陽の国〉。
 恵み豊かな南の国だということを、改めて認識させられた。

「わたしには守りたいものがあります」
 ルイアが最初に紡いだ言葉がそれだった。
「守りたいもの……?」
 ええ、とルイアは頷く。
「それはこの国であり、仲間たちであり、そしてわたしの大切なパートナーです。その人たちを置いて、ツイール国へ行くことはできません。わたしからそれらを取ったら、わたしはわたしではなくなってしまいます。それに、わたしがツイール国へ行っても何の役にも立ちません」
 ルイアはツイール国のことを知らない。
 ツイール国の人が何を望んでいるのか知らない。
 何も知らないのに、行動できるはずがない。
「ツイール国のことを考えているのなら、まず王子自身が立ち上がるべきではないのですか? その呼びかけに応え、志を同じくする者があなたにつくでしょう。王子に必要なものはわたしではなく、その人々です」
「私に? そのような人々が本当にいるだろうか……。今ツイール国ではほとんどグラドーに味方している」
「あなたの想いが本物なら、きっといるはずです。ビエンナーレ子爵がその筆頭でしょう? それが、『力』というものです」
 呼びかけに応えてくれた人々こそが、力。
 権力や財力というものではなく、本当の、本質的な、力。
「でも決して『力』の使い方を間違えないでください。力は支配するためにあるのではなく、大切なものを守るためにあるのです。それを忘れないでください――――」



「行ってしまいましたね……」
 遠くなる馬車を見つめてベム大臣が呟いた。
 サンエルウム国とツイール国の首脳会談が無事に終わり、今日ジェス王子たちは王都サン・タウンを旅立っていった。どこまでも続く蒼穹が王子たちの旅立ちを祝福している。
「ツイール国、立派になるぞ……」
 それはある意味、相手への賛辞だった。
 来た時とはまるで顔つきが違うジェス王子の姿を見送りながら、グラザーン国王が呟く。
「そうですね……」
 その隣で、王子が変わった一番の原因をつくったルイアも、グラザーン国王の言葉に同意する。
 近い未来、ツイール国はサンエルウムと同じくらい立派な国となる。いや、次代の王となるあの青年が、立派な国を作り上げることだろう。
「私も油断していられないな。ベム、我々も仕事に戻るぞ!」
「御意、陛下……」
 負けてはいられないと、グラザーン国王も執務室に戻っていく。その心情は今日の青空のように晴れやかだった。
 危惧していた婚約の件は、昨日ジェス王子本人から辞退するという形になり、この話は最初からなかったことになった。その後に、グラザーン国王はジェス王子とルイアのことで話す機会があったのだ。
『旅をしている時ルイア殿は、自分が認めた王族はグラザーン国王だけだと言っておりましたよ』
 婚約が辞退されたことよりもその言葉の方が何倍も嬉しかった。これまで以上に執務に精を出すグラザーン国王を見て、改めてルイアの影響力に感心させられたベム大臣だった。


「やぁっと、王子の件が片付いたって感じねぇ……」
 ルイアは東の塔の部屋ではなく、城内の自室に戻っていた。もちろんフィーザスも一緒だ。
「王子の件だけはな」
 まだ孤児の家の件が残っているが、とりあえず一段落ついた。
「わたし、ひとつフィーザスに謝んなきゃいけないことがあるわ……」
「何だ?」
 そのようなことはないはずだが――。フィーザスは今回の旅を振り返ってみた。
「ほら、麻薬中毒のルーガじゃない、もう一人の方が死んじゃったじゃない?」
「ああ、あの時か。遅くなってすまなかったな」
「そうじゃなくって。……あなたのこと気づいてあげられなくて、ごめんね」
 自分のことばかりで、フィーザスの変化に気づいてあげられなかった。明らかにいつものフィーザスではなかった。後から思えば、あの時フィーザスは必死に自分の心の闇と戦っていたのだ。
「……何があったのか、聞いてもいい?」
 そう覗き込んでくるルイアを、愛しく想い、その体を大切に胸に抱く。何にも変えることができない。唯一無二の存在。
 今回の件で、フィーザスは少なからず不安を抱いていた。
 身分など関係ないと思うけれど、それで決まってしまうこともある。ルイアがグラザーン国王の娘で、サンエルウム国の王女であることを今更ながらに実感させられた。そして、フィーザスは――。
「昔の名で呼ばれたんだ……」
 伝説の暗殺者、〈鬼神〉ジュダード――それがフィーザスの過去。
 もう捨てたはずのその名に、反応してしまうもう一人の自分がいる。それは、紛れもなく事実である証拠。〈鬼神〉ジュダードであったという刻印。
「いつか……俺は『俺』を抑えきれなくなるかもしれない…………」
 昔の自分に戻ってしまうかもしれない。
 そうしたらルイアを傷つけてしまうかもしれない。
 そう思うと、とても大きな不安に駆られる。
(自分はルイアの側にいていいのだろうか?)
(側にいない方がいいのではないか?)
(自分さえいなくなれば、ルイアは幸せに暮らせる。いつか訪れるかもしれない不安に怯えることもなく、平和に暮らせる。自分が側にいても、ルイアには危険しか付きまとわない)
 それでも――。
「大丈夫、わたしは死なない。わたしはいつでもフィーザスの側にいる」
 自分で決めたのだから、何があっても後悔はしない。
 ルイアは両手でフィーザスの顔を挟み、真正面から紫の瞳を見つめる。
 いつも、強さを宿しているルイアの青い瞳も、フィーザスの紫の瞳も、今は不安げに揺れている。
「だから……だからね、フィーザス。お願いだから、わたしから離れていこうなんて考えないでね。自分さえいなくなれば――なんてこと考えないで。フィーザスがいなければ、わたしはわたしでいられない。フィーザスなしで幸せになんかなれないよ……」
 強く、抱き締める。まるで存在を確かめるように。想いを伝えるように。
 言ったはずだ。出会った頃に。過去も現在も未来もすべて受け止める、と。
 偽りではない、それがルイアの本心からの言葉。
(――それでも、ルイアの側にいたい)
 それは単なる自分のわがまま。
 けれど、ルイアはそれでいいと言ってくれる。それがいいと言ってくれる。
 それに応え、フィーザスも腕の力を強めた。けれど、決して苦しくはないように。二人は抱き締め合った――。


 来た時と同じ道を戻りながら、ジェス王子はこの旅の出来事を思い返していた。
 サンエルウム特殊部隊のこと。シーラ盗賊団のこと。暗殺集団のこと。
「いろいろなことがございましたね……」
 王子の隣の席で、ビエンナーレ子爵が王子の心情を察したように、絶妙なタイミングで呟いた。
「そうだな……。特にルイア殿にはたくさんのことを教えられた」
「あの方がグラザーン国王様の娘であることは驚きましたけど、今ならばグラザーン国王様が溺愛なさる理由がわかるような気がいたします」
 それほどルイアは立派だった。
 自分の信念を貫き、生きている姿は本当に輝いていた。
 剣士エンヴィも、忍者であると言ったヤマトという青年も、そのようなルイアだからこそ仕えていると断言していた。
 誰からも慕われるルイアのような者こそ、人の上に立つ、最も相応しい人間なのかもしれない。
 そして、孤児問題の解決策もすばらしかった。あれは、ルイアだからこそ可能なものだ。
 グラザーン国王の決断も素早い。だからルイアは、王都に帰還してすぐにグラザーン国王に申し出たのだろう。 王子たちが滞在している間に、もう工事がはじめられていた。
 同じ政策をツイール国でやろうとしても、あのように迅速に行動することはできない。間違いなく失敗に終わるだろう。あの“孤児の家”政策はサンエルウム国だから可能なのだ。
「我が国は、根本的なところから見直すべきだな……」
 何もサンエルウム国と全く同じにすることはないが、せめてサンエルウム国と肩を並べられるような政治をしたい。
 一人一人に長所があるように、ツイール国にはツイール国の良さがある。それを最大限に活かし、国民たちに認められる政治をしたい。
「手伝ってくれるか、フレッド?」
「喜んで!」
「国に帰ったら忙しくなるな……」
 だが、国に着くまでまだまだ時間がある。その間にできることはやろうと思い、早速二人は改革の内容を話しはじめた。
 あの問題はこうするべきだ、とか。いや、それでは解決しないので、まず地元の者の意見を聞くべきだ、とか。白熱した討論が展開されていく。
 御者は一体何事かと振り返ったが、二人の真剣な様子に、何も言わないでおく。
 意見が食い違うこともあるが、それもより良いツイール国を作り上げていくために必要なことだ。ジェス王子もビエンナーレ子爵もそれがわかったので、遠慮なく自分の言いたいことは言った。
 そのように、馬車の中でビエンナーレ子爵と白熱した討論をしながら、ふとジェス王子はルイアの言葉を思い出す。

『ジェス王子、あなたのパートナーはわたしではありません。側にいるだけで安らぎ、心を支い合える、素敵な人があなたにもいるはずです。まだ、その人と出会っていないだけなのです。ですから、あなたの守る力はわたしではなく、その人のために使ってください。きっと、きっと出会えるはずです。あなただけの人に……』

 パートナーがいれば、どこまでも強くなれる。
 そう言ったルイアの言葉に嘘偽りはない。現にルイア自身も、パートナーがいるからこそ、ここまで強くなれたし、これからも強くなろうと思うのだと言っていた。
(きっと、見つけてみせる)
 そうしたら、その人と共に、またサンエルウム国を訪れるのもいいかもしれない。強くなった自分の姿を、ルイアに見せるのもいいかもしれない。もう今回のように厳しい注意を受けずに済むだろう。
 その時、胸を張って誇れる自分でありたい。
 ジェス王子は心からそう思う。

第4章 / 終章

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